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9月30日(土) 雨のち曇り フィレンツェ <Part 4>◆このページをとばすときは
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HotelAstoriaBreakfastRoom見事な美術品の数々をこれだけ集めてくれたMedici家の勢力と芸術に対する並々ならぬ支援に感謝しつつ、その膨大な美術品の数々をとても見切れずに終わってしまいそうなFirenzeも、今日の昼には離れなくてはいけません。電車の時間ぎりぎりまで見て回ろうと、8時頃にはビュッフェの朝食を取りにホールに行きました。昨日パスしてしまった私は、このホテルでの朝食は初めて。今回利用したHotel Astoriaは、駅からも近い便利なロケーションで、入口は地味なのでよくわかりませんでしたが、もともと貴族の館だったのものを改装した建物なので、中はなかなか豪華でした。この朝食用のホールも、ご覧の通り、外壁のような装飾が施された窓があって中庭にいるかのような演出をしていたし、壁には大きな絵が掛かっていて、ちょっと優雅でリッチな気分で朝食を取ることができました。まあ、ビュッフェの内容は、特別リッチでもありませんでしたけれど・・・(内容はこちら)HotelAstoriaRoom
ついでにホテルについてもう少しご紹介してしまいますと、他にもメインの階段の途中にいきなり等身大の彫像が立っていたり、明らかに年代モノと思われる大きなタペストリーが掛けてあったりと、確かに貴族の館の雰囲気そのまま。私たちの部屋は天井が低い屋根裏部屋のひとつでしたが、私たちの身長(!?)なら別に気にならないし、その分、入ってすぐのところに玄関ホールみたいな部屋が付いたゆったりした造りなので、落ち着けてよかったです。ただ、メイドさんが昼間のお掃除の他に、夕方から夜にかけて、ベッドのいちばん上のキルトをめくりに来るので、なんだか部屋への出入りが多いのはちょっと気になりましたけれど。今回の旅行でのホテルは、自分たちでは選ばないで、全部旅行代理店にお願いしてしまったので、☆☆☆から☆☆☆☆までで、場所によって差はありましたけれど、フロントの対応とか、部屋とかは、結果的にはここのホテルがいちばんでした。

SantaMariaNovella外に出てみたら、朝からあいにくの雨空でしたが、そんなことは言ってられず、まず、急いで駅のすぐ近くにあり、駅名にも使われているChiesa di Santa Maria Novella(サンタ・マリア・ノヴェラ教会)へと向かいました。ここは、もともとあった教会に13世紀末に建て増しして造ったゴシック様式の教会。美しい正面のファザードは、下の部分がロマネスク様式、上部がそれに合わせて15世紀半ばに作られたルネサンス期のものなのだそうですが、見事に調和が取れていて、どこからどこがそうなのかは区別がつきません。その上部を造ったLeon Battista Albertiというルネサンスの万能芸術家にとっては、やはりこれが歴史に残る傑作なのだとか。SantaMariaNovellaInside
だんだん雨が激しくなってくる中、美しい外観をゆっくり眺めてもいられず中に入ると、とにかく目に付いたのは、中央奥のCappella Tornabuoniという礼拝堂の周りにびっしり描かれたフレスコ画でした。近寄ってよく見ると、豪華そうな衣装をまとった人々がたくさん描かれている物語風。ガイドブックで調べたところ、これらは、Michelangelo Buonarrotiも師事したDomenico Ghirlandaioとその弟子たちの手によるもので、当のミケランジェロもその製作に参加していたのだそうです。『Nascita della Vergine(聖母の誕生)』はじめ、聖母マリアの生涯や、また聖ヨハネの生涯を描いた連作などは、どれもかなり細かく衣装や風景、室内の様子などが描き込まれていて、当時のこの街の風俗をよく反映しているとのことですが、ということは、これらの絵が描かれた15世紀中ごろというのは、街全体がかなり栄えて豊かな生活を送っていた時期ということなのでしょうね。

CappelleMediceeこの後は、続けてMedici家ゆかりの場所を訪ねました。最初は、八角形をしたCappelle Medicee(メディチ家礼拝堂)。外側はなんてことなくて、がっしりはしていますが地味な感じですが、中に入るとさすが贅を尽くしたメディチ家の礼拝堂らしく、豪華絢爛でした。外見通り、天井が高いクーポラ状になっているCappella dei Principiなる礼拝堂は、色鮮やかな天井のフレスコ画(写真はこちら)が最初に目に入りましたが、薄暗くてよくわからなかった壁や床は、よく見ると石を使ったモザイク模様。大理石ばかりではないのでしょうけれど、とにかく天然の石の色を利用して作られた模様で、床には、Firenzeの至るところで目にすることができるMedici家の紋章(暗くてわかりにくいのですけれど、一応写真はこちら)が大きく描かれていたりしました。石の柱も立派で美しく、質素な外見とは大違いでした。
でも、こんなものを見て感動していてはいけないらしく、ここを訪れて最も鑑賞の価値があるというのは、Sagresita Nuova(新聖具室)にある廟墓なのでした。部屋自体はとても狭く、その中に彫像が何体もあって、ちょっと不思議な雰囲気のところなのですが、部屋の設計をしたのがまたもや登場のMichelangelo Buonarroti。16世紀の半ばに、この天才が作成した大きな4体の寓意像が、2つの廟墓の前に2つずつ並んでいます。
MediceeGiulianoTomb3
こちらが、「豪華王」Lorenzo de'Mediciの息子でヌムール公Giuliano de'Mediciのお墓。前に座っているふたつの彫像は、左が『Notte(夜)』、右が『Giorno(昼)』。確かに「夜」の方は、肘をついて眠っているように見えなくもないのですが、体をねじっている昼の方もちょっとけだるそう(?)なので、意味するところはよくわかりません。
MediceeLorenzoTomb
そして、こちらの方は、さらにその息子でウルバーノ公のLorenzo de'Mediciの墓。彫像は向かって左から『Crepuscolo(黄昏)』と『Aurora(曙光)』になります。こちらも男女の組み合わせで、「黄昏」ているのがヒゲを生やしたおじさんで、「曙光」を表しているのは若い女性。こちらも深い意味はよくわかりませんでした。
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ただ、どの像にしても、体をひねった体勢なので、これを大理石という硬い石で見事に表現しているのは、やはり天才彫刻家ならではなのだと思います。なんだか、自分の技術力があまりにあるので、わざと難しい体勢の像を作ってしまったのではないかとさえ思ってしまうほどでした。それにしても、筋肉や体の柔らかな曲線をたくさん見せるためなのか、ミケランジェロは本当に裸像が多いですよね。
PalazzoMediciRiccardiこの頃、突然激しくなった雨の中、わずかな距離を走り抜け、次にPalazzo Medici Riccardi(メディチ・リカルディ宮)を訪ねました。ここも建物の大きさはかなりのものながら、外見は比較的地味。でも、この建物は、「祖国の父」Cosimo de'Mediciが、メディチ家の勢いが絶頂ともいえる時期に、ルネサンスを代表する建築家でおかかえ建築家だったMichelozzo Michelozziに設計を依頼して作らせたものなのです。ところが、後から本で調べていたら、メディチ家の家訓のひとつに「目立ってはいけない」ということがあるというのをみつけて、とても納得!しました。先ほどの礼拝堂といい、この宮殿といい、お金はかけているかもしれないけれど、あまり目立たないような設計に好んでしたわけなのですね。PalazzoMediciRiccardiRoom
ただし、この宮殿は、100年ほどメディチ家の邸宅だった後、16世紀半ばに、やはり裕福な一族であったRiccardi家に渡ってしまいました。Palazzo Medici Riccardiと呼ばれているのは、そのためです。現在公開されている宮殿全体は、その後リカルディ家によって改装されたり、拡張されたりした部分と、もともとメディチ家時代に作られた部分が混在しています。たとえば、こちらの豪華絢爛なホールは、壁が鏡張りになっていて、天井は17世紀に活躍したLuca Giordanoという画家の手によるもの。もちろん、後から改装された部屋で、今でも特別な会合などに使うこともあるようでした。でも、このすぐ隣に展示してあったFilippo Lippiの『Madonna e Bampino(聖母子)』という絵は、多分、支援者であったCosimo de'Mediciが手に入れたものなのでしょう。リカルディ家は、改装するときにも、もともとのこの宮殿の雰囲気を壊さないように、なるべく古い部分と調和するようにしたそうなので、メディチ家の意向で造られた屋敷の美しい部分は、そのままにされていたようです。CapellaDeiMagi
それが、この宮殿の中、随一の見所といわれるCapella dei Magiと呼ばれる小さな礼拝堂。本当に狭い礼拝堂なのですが、壁一面が絵で覆われていて、さらに圧迫感のある部屋になっています。この絵は、Benozzo Gozzoliによる『La cavalcata dei Magi(東方三博士の行進)』といわれるフレスコ画の大作で、壁ごとにひとつの物語の場面が描かれています。こちらは、そのうちの一枚の一部ですが、白馬に乗った三博士のひとり、ガスパールの後ろに控えている赤い帽子の面々は、実はメディチ家の人々本人たちが描かれているのです。どれが何歳のときの誰ということまで、ちゃんとわかっているというのですから、すごいですよね。作者はついでに、自分の姿もちゃっかりこの絵の中に描き込んでしまっているそうで。
「東方三博士」というモチーフは、年齢や国の多様性を示しており、世代を超えて世界にはばたいて行こうとしていたこの頃のメディチ家の勢いや方向性に合致していたらしいということですが、自分たちの姿まで入れてその意味を託したこの絵を含む屋敷が、残念ながら、意外と早く人手に渡ってしまったというのも、皮肉なものです。

SantaMariaDelFioreそして、私たちのFirenzeでの観光の最後が、なんと、ここ、DuomoことChiesa di Santa Maria del Fiore(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)になってしまいました。普通と全く逆かもしれませんね。ホテルから近かったこともあり、おとといから前は何回も通っていたものの、中には入っていませんでした。写真は、天気のよい最初の日に撮ったものですが、私たちが訪れたときは雨の勢いがかなりひどくなって来ており、ジプシーの代わりに折りたたみガサを売る黒人や中東系みたいな人たちがたくさんいました。みんな、屋根のあるところに行きたいらしく、入場料がかからない広い聖堂の前には、ただ入るだけでさえ行列ができていました。FirenzeDuomoCuporaCeling
外の天気も悪いからか中はかなり暗くて、がらんとした中にたくさんの人がうごめいている上、あちこちでカメラのフラッシュがたかれていて、最初は様子が全然わかりませんでした。だんだん目が慣れてきてあたりを見回すと、見所のひとつであるPaolo Uccelloらによる大きな騎馬像の絵のある場所には、足場が組まれていて修理中。そこにポスターが掛けられているだけなのがわかりました・・・残念。
しょうがないのでそのまま奥へ進み、大きなクーポラの内部の絵を鑑賞しました。この何層にもなっているように描かれている絵は、建築家としてGalleria degli Uffizi(ウフィツィ美術館)を設計した器用な芸術家Giorgio Vasariらによる『Giudizio Universale(最後の審判)』。遠くてわかりませんでしたけれど、この絵の中のどこか、おそらく中央付近にイエスキリストがいて、天国に行ける人と地獄に落ちる人とを分ける審判を下しているのでしょう。
階段を下りて行くScavi della Cripta di San Reparata(地下遺跡)のところも、人が押し合いへし合いの混雑ぶり。時間が全然なかったわけでもないのですが、電車に乗る前にホテルに戻って濡れた髪や洋服も乾かしたかったので、Museo dell'Opera del Duomo(ドゥオモ付属博物館)も今回はパスしてしまいました。

最初にも書きましたが、2泊といっても実質的には1日半しかなかったので、見所がたくさんのFirenzeを心行くまで楽しむには、予想していた以上に時間が足りませんでした。今日の移動前の数時間も使って頑張って回っても、結局、ちょっと離れたSanta CrocePiazza Michelangeloなどには行けませんでしたし、Palazzo Pitti(ピッティ宮殿)の向こう側に広がるGiardino di Boboli(ボボリ庭園)などでゆっくりする時間もありませんでした。少なくともあと1泊、2泊多くてもよかったかなとちょっと思いつつ、次回イタリアに来るときも、きっと立ち寄ろうと密かに決意してしまいました。特に、Galleria degli Uffizi(ウフィツィ美術館)に行くだけでもその価値はありますし。今朝からの悪天候がなんとなく、今回はここまで、と名残惜しさを断ち切らせてくれたような気がしました。
そして、また特急電車で一路Romaへと向かいます。

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9月24日9月30日
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