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YellowCabJohn F. Kennedy Jr.
Memorial
TeddyBear

故John F. Kennedy大統領のひとり息子で、現在はNew Yorkで雑誌の編集に携わっていたJohn F. Kennedy Junior氏が、奥さんのCarolyn、義姉のLauren Bassetteさんとともに、7月16日夜半、飛行機事故で亡くなりました。ようやく遺体が発見され、水葬とされた22日と、お葬式のミサが行われた23日にManhattanにあるKennedy Jr.ゆかりの地を見て来ました。

ManhattanMapお父さんのJohn F. Kennedy大統領が亡くなった後、John F. Kennedy Jr.は、お母さんの故Jaqueline Kennedy Onassis、お姉さんのCarolyn Kennedyと共にNew Yorkに引越して来ました。その後、New York University(NYU)のロー・スクールを卒業し、New York州のAttorney General(検事局)勤務を経て、「George」という月刊誌の発行人兼編集者として活躍していたのは、様々な新聞、ニュースなどが報じている通りです。
さて、今回訪ねた場所を地図で示してみたのが、右のものです。Manhattanのセントラルパークより南のところがほとんどです。近親者やごく親しい友人だけのミサが行われた、Church of St. Thomas Moreだけが、かなり北なので地図には書いてありません。

JFKJrOfficeまず最初に訪れたのは、Broadwayの50thと51st Streetの間にある「George」のオフィスが入っているビルの前。このあたりではかなり大きくて目立つビルの41階にそのオフィスがあります。ビルの手前のちょうど太い柱のところが記念碑のようになっていて、生前の彼の写真や記事、手書きのメッセージなどとともに、たくさんの花が供えられていました。私たちが見ている間にも、何人もの人がここに花を置いて、十字をきって行きました。もちろん、Broadwayという場所柄、多くの観光客も写真を撮っていました。
このそばからバスに乗って、TriBeCaにあるKennedy Jr.夫妻のアパートを訪ねることに。土曜日の朝に行方不明が報じられて以来、彼らの安否を心配して訪ねて来る人々が後を断たなかったそうですが、死亡が確認されてからはその人数も一層増え、警察があたりを警備し、1日に何回かお供えものを片付けるほどとか。私たちも赤いバラを1輪ずつ調達して現地に向かいました。

TriBeCaというのは、Triangle Below Canalの略で、東はChinatownの中心となっているCanal Streetの西の方で、通りのすぐ南の三角地帯を指しています。有名なNOBUをはじめ、Robert De Niroの経営するいくつかのレストランやフレンチの人気レストランなどもあり、最近は夜の人気スポットになっています。住宅地としては、どちらかというと芸術系の人たちに人気がある高級住宅地。そんな中に、95年から住んでいたKennedy Jr.は、96年にCarolyn Bassetteさんと結婚してからもここに住み続けました。

ApartmentEntranceニュースで何回も見ていましたし、だいたいの場所はわかっていたものの、少し探すかなと思いきや、あまりの人ですぐ場所がわかりました。これがそのアパートの入口です。見た目は裏口かと見まがうほどの質素な入口ですが、建物の上の方は凝った装飾が施してある石造りのアパートで、ふたりはその最上階に住んでいました。今ももちろん他の住人がいるので、入口の周りには警察の青い木でできたバリケードが置いてあり、その中を時折出入りする人がいました。
JFKFlowers警官の指示に従って、私たちもお供えをしたり写真を撮ったりする人々の列に並んで、持ってきたバラを供えつつ、アパートの前の数々の花やメッセージ、風船、テディベアなどを見ました。花はあらゆる種類のものが数え切れないくらいありましたし、手前には教会などで死者の魂を弔うときに灯すように、ろうそくもたくさん置かれていました。アメリカでは、お葬式の花はとかとかという決まりはないらしく、そういう意味では、かなりにぎやかな感じでした。
JohnJohn数あるお供え物の中でも、ニュースでも繰り返し映され、改めて人々の悲しみを誘っていたのが、このイラストです。ケネディ大統領が暗殺された当時、まだ3歳だった彼が、葬儀の時に大人の真似をして敬礼をして亡くなった父親を見送った姿は、当時、世界中の人々の心に深い悲しみを与えました。私も当時は生まれていなかったので映像としては、今回ニュースで繰り返し放映されて初めて見ましたが、何回見ても、その表情が無邪気そうなだけにいっそうつらい気持ちにさせられます。そして、それ以来「John John」という愛称で、彼は世界一有名な子供になってしまいました。あそこまで一挙一動が世間に気にされると、本当にイヤなこともたくさんあったでしょうに、彼を知っている人たちは、皆、口をそろえて「彼は普通の男だった。」というのは、おかあさんのJaquelineが意識して普通の感覚を持つように育てたからでしょうか。事実、彼は通勤に地下鉄を使ったり、スポーツウェアに身を固めて自転車やローラーブレードで走ってみたりと確かに十分普通のNew Yorkerっぽいところもある人だったようです。

LaurensApartmentここから、亡くなった3人に哀悼の意を表するために、一般人向けのミサが開かれるOld St. Patrick Churchに向かう途中、彼らのアパートから歩いて5分ほどのところに、悲惨な事故で共に命を落としてしまったCarolyn夫人のお姉さん、Lauren G. Bassetteのアパートがありました。ここからほど近いWall Streetの金融会社で働いており、ふたりほど有名人ではなかった彼女のアパートのまわりには、人垣はできていませんでしたが、同じように花やカード、ろうそくが供えてあり、通りがかった人々が足を止めていました。
もちろん、Kennedy家の人々の心痛も大変なものでしょうが、ふたりの娘さんを一度に亡くしてしまったBassette家の人々の心の痛手は計り知れないものと思います。

OldStPatrickそれから、またバスに乗って、ミサの行われるOld St. Patrick Churchに着きました。このミサは、New Yorkにたくさんいる、Kennedy家と同じルーツを持つアイリッシュ系の人が中心に企画したものだそうで、ミサの前には、バグパイプの演奏などもあったそうです。St. Patrickといえば、五番街にある大きな教会が有名ですが、こちらはそれに比べればずいぶん小さくて、古いものでしたが、同じように、アイルランドの布教に尽力した聖パトリックを祭った教会です。ミサの開始は6時からでしたが、私たちが訪れた3時過ぎには既にミサに参列する人々の列が出来ていました。後でニュースで見たところ、教会内に約1,000人、教会の外にいた人々を合わせると約4,000人が彼らの死を悼んで、ミサに参加したそうです。

GrandCentralTerminal最後は、地下鉄でGrand Central Terminalまで戻って来ましたが、実は、個人的に、私が初めてJohn F. Kennedy Jr.をテレビで見たのは、この駅の大々的な改装工事がすっかり終わったオープニングセレモニーの席でのものでした。タキシードを着て、やせて背の高いブロンドの夫人を伴い現れた、かなりハンサムな男性にいっせいにフラッシュがたかれていたので、「この人は誰だろう?」と不思議に思いました。テレビに出たクレジットを見て、彼と知ったのです。ちょうど、その少し前に駅を通ったのですが、知った顔の人(といっても知っているのは映画俳優くらいですが)がいなかったため、さっさと通り過ぎてしまったのです。今思うと、あの時、もしかしたらすぐそばにいたのかもしれなかったのですね・・・
ちなみに、この駅をこのような立派な建物として改装することについて、彼の母Jaqueline Kennedy Onassisが金銭面も含め、積極的に援助活動していたそうで、それでセレモニーの主賓として招かれたのだそうです。

StThomasChurch翌日、今度は89th StreetのPark AvenueとMadison Avenueの間という、いわゆるUpper East SideにあるChurch of St. Thomas Moreで、近親者、友人だけのミサが行われました。この教会は、生前Jaquelineが子供たちを連れて通っていた教会で、ミサには、厳重な警備の中、Bill Clinton大統領一家はじめ、おじのEdward M. Kennedy上院議員などの親族の他、元ボクシングチャンピオンのMuhammad Aliや奥さんがいとこにあたるシュワちゃんことArnold Schwarzeneggerらが参列していました。どこのテレビ局も、立派なリムジンが着くたびに誰が来たかを報道していたので、ミサが終わってずいぶんたっても、近くにはテレビ局のバンがたくさん停まっていました。そして、アパートと同じように、花やメッセージやカードが少しですが、教会の前に置かれていました。

TimeMagazine今、New Yorkでは、彼が以前表紙を飾った「TIME」や「Newsweek」などがまた本屋さんやスタンドの店頭に置かれ(中身は追悼特集)、テレビでも出演したCNNのLarry King Liveはじめ、様々な番組が特集を組んで放送しています。こちらに来るまで、John F. Kennedy Jr.がどこに住んで何をしているかはもちろん、名前さえほとんど知りませんでしたが、みんながこんなにも彼のことを好きだったことを初めて知りました。やはり、暗殺という不幸な亡くなり方をした人気気絶頂の大統領の残されたひとり息子であり、育ちの良いハンサムな男性であり、一種のアイドルに近いような人気者だったように思います。私の知っているアメリカ人の女性も、彼の死はイギリス人にとってのダイアナ妃の死のようなものだと言っていました。私たち異国人には、アメリカ人ほど近く彼らのことを感じられませんが、それでも、
心からご冥福をお祈りいたします。

c 1997 kyoko_isaka@msn.com よかったら、このページのご意見等をお寄せ下さい。

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